※本記事はネタバレを含みます
いかがお過ごしでしょうか。
本日から再びパルマR記事を更新していきたいと思います。あと1本の予定です。
以降ネタバレを含みますので苦手な方はお戻りください。
図書館に向かうといつもいるはずの門司くんがいません。不思議に思い看守詰所へ行くと、ネットワークの不正使用を咎められている門司くんがいました。
散々いろんな調べ物をしてもらっていたのは間違いなく相談員のせいなので素直に白状します。『外交官襲撃事件』について調べてもらっていたことを話すと、少ない手がかりから事件の真相を見つけるために必死だったとはいえ相談員の範疇を越えた調査だと責められ、門司くんの処分については追々連絡となり今日のところは帰ることに。
本当に申し訳なく思い門司くんに謝ると「謝るくらいなら、最初から頼むな」と一蹴。続けて「知りたかったんだろ?誰かを傷つけることになっても、アンタは知ることを選んだんだろ?そんなアンタだから助けたいと思った。手伝ったんだ。僕が自分で決めたことだ。だから、謝るな」と言ってくれました。門司くん…!
ちなみにハッキングについては抜かりはなかったはずなのに、とバレたことに驚いていました。さすが門司くん。
ある日食堂へ行くと河内さんがいました。すると「彼はまだ自分がクロイワ氏を殺害したと思っているのではありませんか?」と言われ、詳しい話をするために場所を変えます。
確かに火災が起きる直前、チアキ(ユーゴ)はクロイワ氏を刺しました。しかしその後の調査でクロイワ氏の致命傷になったのは鈍器で頭蓋骨が骨折するほど強く頭を殴打されたことが原因だと判明。チアキ(ユーゴ)が刺した傷は浅く、意識を失う類のものではなかったそうです。クロイワ氏を殺害したのはおそらく火事を起こした犯人と同一人物と見られていますがまだ捕まっていないみたいです。
チアキがクロイワ氏を殺したと思い込んでる理由については「火事のショック」。精神的に不安定な年齢だったこともあり刺した瞬間に殺したという感情が刷り込まれているのではないか、ということでした。
そしてSSの台詞になるんですが、チアキ(ユーゴ)の両親はシンガポールで仕事の都合で暮らしていたとき車による不慮の事故に巻き込まれ亡くなってしまいます。それから数年後、大師がシンガポールの児童養護施設に視察で訪れたとき、事故の後預けられていたチアキ(ユーゴ)と出会いました。最初は気付かなかったものの施設に預けられた日付が事故直後であったことや身に着けていたベビー服が大使が出産祝いとしてプレゼントしたものだったこともあり、大使は親友の子だと確信し引き取ることを考え日本にいる自身の家族に対し説得を試みます。なんとか了承を得てシンガポールの戻ると、チアキ(ユーゴ)は既にクロイワ氏の養子となっていました。
クロイワ氏の評判は大使も知っていましたが正規の手続きを経て養子になったチアキ(ユーゴ)に対して成す術もなく、しかしそれでもずっと影から見守っていたそうです。ここで火事があった後日本に住むよう手配したのが五十鈴大使であることが判明します。
しかしチアキは諜報員となって日本からも姿を消し、消息については最近までわからなかったそうです。大使自身は親友の忘れ形見を守ろうとしてるのに常に後手に回ってしまう自分に罪悪感を抱いていたとのことでした。
親友が我が子の名前に込めた思いはチアキに直接伝えるとのことで、実の両親の想いを知れば何かが変わるかもしれないと河内さんは話してくれました。
すぐさまこのことをチアキに伝えます。
するとチアキは「俺はいつも大切なことを見落としながら生きてきたのかもな」と呟きました。また河内さんから五十鈴大使とチアキの実の両親が親友であったことやシンガポールの児童養護施設で会ってからずっと気にかけてくれたこと、火事の後日本で暮らせるように手配してくれたことを聞いたそうです。すぐに自分の存在を明かさなかったのは「チアキの様子を気遣って言うのをためらい、いずれ落ち着いたらと思っているうちにアメリカへ渡って消息を絶ってしまった」というまたもや後手に回ってしまった結果でした。悲しい。
そして彼の本当の名前。『侑』の漢字には『助ける』という意味があり、両親は「周りに優しく、人を助けるような子供に育ってほしい」という願いを込めてこの名前を付けてくれたそうです。
しかし「結果的に養父を死に追いやり、諜報員という裏の仕事をしている。誰一人として、救っていない……。俺は……生まれてくるべきではなかったのかもしれない」とチアキは過去を後悔します。
でもチアキは五十鈴大使の命を救っています。『外交官襲撃事件』のあの日、あの時、チアキがあの場に居なければ五十鈴大使はとどめを刺されていたはずです。これ以上自分を責めないでと相談員はチアキに伝えました。
それからチアキは「何も言わずに受け入れてくれるから…俺はつい君に甘えてしまうんだ」と頭を撫でさせてくれます。人に触られるのは好きじゃないと話していた彼が…とんでもねぇ進化です。
筆者は少しふざけたかったので「頭をよしよしって撫でてもらいたかった?」と返しました。それじゃあ俺が子供みたいじゃないか…と言ってきたため笑った記憶があります。そうだよアンタ子供みたいだよ。
ちなみにチアキとしては「もっと色っぽい触れ合いを想定してた」らしいです。あと数年は早いわ。
記憶が戻ったとき、真っ先に相談員のことを考えたというチアキ。
巻き込みたくないと思ったのも事実ですが、全てを知ったらいつもみたいに笑いかけてくれなくなるんじゃないかと想像するだけで怖くて動けなくなり、それならいっそ自分の方から離れれば少しは楽になれるんじゃないかと考えていたことを話してくれます。約束の指切りを「忘れた」と言ったのはそういうことだったか。
するとチアキは相談員に好きだと告げてくれます。同時に涙を流し、こんなふうに自分をコントロールできないのは初めてだと言います。
君を離したくない、離れてほしくないと言ってくれるチアキに、相談員はさておき筆者は頷きっぱなしです。
本土へ帰るために記入が必要な書類があるため看守詰所へ来てほしいとの連絡を受け、すぐに向かう相談員。すると誓約書を見せられます。そこには
私は、既定の任期を終了し施設を退出するにあたり、以下の事項を遵守することを誓約いたします
一つ、島内で知りえた機密情報に関しては、島外において一切漏洩しないこと
二つ、収容施設での担当収容者とは、今後会話・メッセージを含めて一切の接触を行わないこと
と書かれていました。つまり、チアキとは二度と会えないということになります。それが相談員を本土に返せる条件であり、さらにチアキはもう誓約書にサインをしていました。
なんやて。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
こんなところで切ることになってしまってすみません!
実は河内さんの奥さんがシーハイブの研究者だった過去が判明したんですが長くなってしまうため割愛します。記憶障害は薬の副作用で脳が委縮しているため、研究者として臨床試験前に自らが被験者となったのではないかと話していました。この事件を暴くには一筋縄ではいかないだろうが何年かかったとしても必ず公にしてみせると河内さんは決意を話してくれます。結果はハルト編へ。
このあと1月1日にあつ森、4日から続きを書いていく予定です。
本当にこんな「もうチアキと会えないの!?」っていう鬼畜みたいな切り方になってしまって申し訳ないです。次回最終回となります。
それでは!良いお年を
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それでは、おふとんにくるまって。おやすみなさい
小森千代